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あおしま文庫

筆者が読んだり見たりした本、映画などについて論じる

壊れやすい風景を記憶に

11月の末に長野の上諏訪に旅行に行ってきた。旅行目的を訊かれて、仕事ではなかったので観光と答えたものの、見に行ったのは諏訪湖遊覧船と高島城と諏訪五蔵のみ、後は温泉に入ってばかりだったが、なかなか面白い旅だった。高島城は築城の主の関係か、大阪城と地形的な共通点が多かったし、市街地ではシャッターの下りたスナック(昼間に行ったので単純に営業時間外だったのかもしれないが)や旅館、街道沿いの石造りの建物などに街の歴史を感じた。特に、現在の国道20号にあたる甲州街道沿いは坂や寺なども含めて、旧街道の匂いが強く残っていた。酒蔵も歩いてすぐの距離に五つもあり、それぞれ試飲もできる。しかしそれ以上に魅力的だったのが試飲場所の様子や対応の仕方で、お洒落だったり観光向けに開発されていたり家庭的だったりと、蔵ごとに個性的だったのがとても面白かった。戦利品と酒量が増えて、五蔵目を回る頃にはフラフラになってしまう危険地帯ではあるが、また機会があれば行きたい。ついでに言えば、諏訪を「ブラタモリ」で取り上げると諏訪大社などもあって結構面白くなりそうだと感じた。

私が住んでいるのは名古屋近郊のJR中央線沿いであり、大学在学中に住んでいたのも東京都内ではあるがJR中央線沿いだった。小学生中学生の時分には、家族でJR東海が開催する「さわやかウォーキング」にそこそこの頻度で参加していたこともあり、中央線(と五平餅)には思い入れがある。今回も上諏訪に行くまでは中央線に乗ったが、改めて中央線、特に中津川より東から宮ノ越駅辺りまでの木曽路が好きだと感じた。日本全国旅したわけではないので、絶対にここが一番だというつもりはないし、自分の偏見から逃れられないのも確かだが、自分がなぜ中央線に心惹かれるのか、主に近隣のJR高山線下呂駅まで)とJR飯田線と比較しながら、少し考察をしてみたい。

まず考えられるのが沿線の景色の美しさだ。上記の区間木曽川沿いの山間部を走っており、山と水のコントラストがとても良い。しかし、このような風景は山地の多いの日本では多く見られるだろう。高山線飯田線も同じような地形だ。これらよりも中央線の方が良いと感じられるのはいくつか理由がある。

一つは地形にあると思う。高山線飯田線は飛騨川と天竜川沿いを走っているが、川が曲がりくねっているのでそれに合わせて線路もカーブや川を渡ることが多い。このため車窓の景色も、山陰側になるか山陽側になるか、あるいは川側か山側かが安定しない。一方、中央線は南木曽から宮ノ越までの間は一貫して木曽川の左岸を走っているため、景色が安定していると言える。時間帯にもよるが対岸の山が山陰になっていないのも良い。

また、個人的な感覚では電車が山を登っている感覚も良いのだろう。平地の人間なので、山に登るというのは確実に非日常的な行為、あるいは非日常への移行を意味する。同じ中央線でも東側の高尾から山梨方面へ向かう時に、同じような高揚感を感じた。普段、山に住んでいる人は下り坂に同じような感覚を抱くかもしれないし、内陸に住んでいる人が船に乗るということには同じような感覚があるだろう。状況と経験次第で、景色が美しく見えるかどうかが変化するのはおかしいような気もするが、後で書くように価値観には経験が大きく作用されると思えばそれほど不自然でもない。

しかし、一番の理由は中央線が中山道木曽路とほぼ同じルートを通っているからだろう。飯田線天竜峡より南側の「秘境駅」と呼ばれるような国定公園に指定されている区域は、中国の山水画のように思えたし、高山線も飛騨街道沿いではある。しかし、街道沿いの宿場町の雰囲気が一番色濃く残っているのは中央線なのだ。秘境駅沿いに人家はほとんどないし、高山線沿いも昔の街道の面影はあまりない。下呂の温泉街はその名残があるが、線路からは離れている(というか川の対岸だ)。

宿場町と言っても、必ずしも観光地化されているような場所ばかりではない。木曽福島駅周辺は木造家屋も多く昔の街道の雰囲気があるものの、スーパーのイオンもできていたりして昔のままではない。他の町でも昭和40年代~50年代の色付きの瓦屋根の家もあれば、ごく最近建てられたと思うような家もある。しかし、道の幅や家の間隔などのちょっとしたところに、昔の宿場町の名残がある。例えば、家は昭和期に建てられたものでも家と家の間隔は長屋のように狭く密着して建設されていたり、母屋は新しいものなのに蔵は昔からのものを使っていたり、平地が少ないので斜面をうまく利用しながら街づくりをしていたりする。今ではもう「宿場」ではないが、それでも町全体が以前の様子を残しながらも変化し続けており、有機的な存在だと実感できる。

時代劇に使えそうな古い街並みというのも、もちろんよい。観光地になるようなわかりやすい「古さ」のある地域も必要だろう。しかし、30年から40年ぐらい前に作られた街並みや建物も、その時代を印象付ける存在だ。少しずつ壊されるものも増えてきて、いずれは希少価値のあるものになってくるだろう。現時点では、文化財として保護されるのはもっと古いものに限られているだろうが、何でもないと思っているようなありふれたものが、後から価値が出てくるものに変わるのだ。時間が経ってから見てみると、当時は考えもしなかったことに気付くこともある。すべての建物を保存すべきなどとは言わないが、ある程度は保存、あるいは記録に残していくことは考えるべきだろう。

当たり前にそこにあると思っているものは、無くなってからでないとその価値には気が付かないのが常だ。ふと、昭和60年代の普通の街並みを見てみたいと思ったことがあるが、市内の図書館にはそのような本は置いておらず、せいぜい昭和30年代か自然についての風景ばかり。当時の特撮か刑事ドラマを見た方が良かった。いつも見ているものが、いつかなくなってしまう。そう考えると、もう少し毎日見ているものをもっとしっかりと記憶に、あるいは写真に残しておきたくなった。

 

以下に2012年末に訪れた諏訪で撮影した写真のうち2枚を公開する。ヌード劇場は何となく心惹かれたもので、今もあるのかどうかは確認しなかった。駅前の百貨店はもうない。

 

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